お稲荷さんは、五穀豊穣や商売繁盛のご利益をもたらす神として、古くから信仰されています。
戦国時代を代表する名称、織田信長や豊臣秀吉のみならず、江戸幕府を開いた徳川家康もまた、稲荷信仰を持っていた説は有名です。
しかしお稲荷さんは、信仰をやめた途端に祟る危険な神であるという噂も、まことしやかに囁かれています。
なぜお稲荷さんは、神でありながら人を祟ると言われるのでしょうか。
その由来を、お稲荷さんの歴史から紐解いていきます。
お稲荷さんは人喰い鬼!?
お稲荷さんのルーツには2パターンあります。
お稲荷さんは神社だけでなく寺に祀られているケースもあり、この寺に祀られているお稲荷さんこそが祟る神のルーツです。
そして寺に祀られているお稲荷さんのご祭神こそが、チベット仏教で鬼神として恐れられつつも信仰されてきた、荼枳尼天(ダキニテン)であると言うのです。
荼枳尼天は女神であり、と同時に人を喰らう鬼神でもあります。

荼枳尼天は真っ赤な肌をしており、で容姿端麗です。
真っ赤な肌は性的な魅力を意味し、愛欲を司るとも言われています。
ところが荼枳尼天の場合はそれだけにとどまらず、一糸まとわぬ姿で空中を飛び回り、人肉を喰らうというのです。
髑髏の首飾りを見につけ、人の生首が付いた槍を持ち、頭蓋骨の器に人の生き血を注いで啜る様は、恵みをもたらす神のイメージとはかけ離れています。
しかし目を見張るほどの美貌と性的魅力のためか、女神信仰の立役者として大陸では広く信仰されていました。
そんな荼枳尼天を日本に伝えたのは空海です。
真言密教と共に、日本に伝来したと言われています。
大日如来との出会いで生まれ変わった荼枳尼天
鬼神として人を喰らい続ける荼枳尼天に、運命を変える出会いが訪れます。
それが、大日如来との出会いです。
荼枳尼天大日如来は、密教における万物の母とされています。

慈愛に満ちた大日如来は、人を喰らう荼枳尼天の生き方を、よしとしませんでした。
荼枳尼天に直接会い、人を喰らうことを止めるよう申し渡します。
ところが荼枳尼天は、頑なに首を縦に振りません。
大日如来は代案として、生きた人を殺して喰う代わりに、屍人を喰らうことを提案します。
ところが、すでに屍人を喰らう神は居ること。
しかもその神は荼枳尼天よりも力が強いため、荼枳尼天では力負けすることは目に見えている。
だから生きた人間を喰らい続けるより他ないのだ、と荼枳尼天は訴えます。
そこで大日如来は、人の死期が事前に分かる能力を荼枳尼天に与えます。
この能力を用いて、屍人を喰らう鬼に先んじて屍を得られるよう、荼枳尼天を導いたのでした。
大日如来の取り計らいに心打たれた荼枳尼天は改心することを誓います。
そして人の命を奪う神から、実りや豊かさを与える、五穀豊穣の神に生まれ変わったとされています。
こうして荼枳尼天は現在のお稲荷さんになり、寺に祀られるようになりました。
お稲荷さんになった荼枳尼天は祟り神ではなくなったが・・・
仏に帰依し、生まれ変わった荼枳尼天。
しかし人を生きたまま取って喰らうその強烈すぎるイメージは、容易に消えることはありませんでした。

今なお言われる「お稲荷さんは祟る」は、かつて鬼神であった荼枳尼天の悪行から連想されている、という説が有力です。
元々人を喰らう鬼であったのだから、意にそぐわない対応をとる人間がいれば、すぐに気分を害して人を祟り殺すであろう。
このような憶測から生まれた誤解であるという解釈です。
確かに、改心とは容易なものではありません。
疑われても致し方ない部分があることは否めないでしょう。
五穀豊穣、恵みの女神となってなお、過去の過ちを咎められ続ける荼枳尼天は、あまりにも重い自身の罪を、今なお償い続けているのかもしれません。
寺なのに神の矛盾
ところで、ここまでの話で一つ大きな違和感を感じていることでしょう。
それは、なぜ寺に神である荼枳尼天が祀られているのか、という点です。

これには、明治期まで続いた神仏習合が大きく関連しています。
神仏習合とは、仏教の仏も海外の神の一種として捉える考え方です。
詳しくは、こちらの記事をご参照ください。
→神社の用語解説:明治期まで日本のスタンダードだった神仏習合とは?
日本では長く神仏習合が当然であり、寺に神が祀られたり、神社の敷地に寺が同居したりすることも珍しくありませんでした。
明治政府が始まった際に発令された神仏判然令によって神社と寺は分離されたものの、一部では今だに神仏習合の名残が残っています。
寺に祀られた荼枳尼天のお稲荷さんもその一つです。
噂に巻き込まれただけ!?もう一つのお稲荷さん
荼枳尼天は密教の神ですが、もう一つのお稲荷さんのルーツは、京都の伏見稲荷大社を総本山とし、宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)と神の使いである狐を祀っています。

お稲荷さん=狐として、狐が祟ると言われることもありますが、狐は神の使いに過ぎず、人を祟る力はありません。
宇迦之御魂神、荼枳尼天共に五穀豊穣の神であることから、いずれもがお稲荷さんと呼ばれるようになりました。
この時に、荼枳尼天の過去の過ちの歴史が、狐の化かすイメージと重なって、人を騙し祟るイメージに繋がったものと考えられています。
おわりに
お稲荷さんには、寺に祀られた荼枳尼天と、神社に祀られた宇迦之御魂神とその使いである狐の2パターンがあります。
いずれも祟り神ではありませんから、安心してお参りしてよいというのが主流の見方です。

稲荷信仰を止めると祟られる、という言葉には、信心深さの重要性を示唆する意味もあると言われています。
改心してなお過去の過ちから祟り神と誤解されている荼枳尼天の姿は、改心も信心も根気強く続けることの重要性を、私たちに教えているのかもしれません。
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